15話「夢の欠片」

母親の明美さんは、当時の佐藤さんの行為をどのように捉えていたのだろう。最初から気付いていたとしたら、小学3年生から高校2年生までの8年間、ずっと息子の悪行を見過ごしていたことになる。それは、意図的に見過ごしていたのか。今や事実は分からないままだ。

全てを打ち明けた佐藤さんは、どこかすっきりした表情の中にも、今まで引きずっている後悔の念が露わになり、それを思い出してるのか、複雑な心境をしているように見えた。その証拠に、机上に置かれたビールの位置が変わっていない。

私は話を聞いて、少し安堵していた。佐藤さんは、表面的に分かりやすい反抗期を送っていない。家庭内で受けなかった愛情が反抗心に変わり、このような行為を導いていた。外見ではひたむきに、やりたいことに全力を注ぐ佐藤さんだったが、内情は落ち着いてなんていなかった。完全無欠な10代なんて存在しない。少しぐらい、悪に手を染めているほうが、よほど人間的だ。

外の世界、バスケットボールでは、何もなかったのか。

「バスケットでは、そういったダークな部分はなかったの?」

「バスケは、無いよ。無い。もうひたすら、やるだけ」確信めいた言い方だった。

「ただ、家でそういうことしていたから、バスケットにとにかく没頭できた、っていうのはあると思う」

「家で溜まった何かを解消して、外では思いっきり好きなようにすると」

「これでバスケが滅茶苦茶上手で、どこからも脚光浴びて、評価されていたら、話は違ったかもしれないなぁ」

「そもそもバスケット選手目指してたかもしれないね」

「いや、中学生のときは、まだNBAの選手になりたいと思っていたよ」

「あぁ、そうなんだ。そこは人並みにプロになりたいと思ってたの」

「自分の伸び代に期待してたから。無得点だから。何と言っても」自嘲的に笑う佐藤さん。ようやく、少し淀んでいたその場の空気が、澄んでいくのを感じた。

「無得点でNBA選手目指すなんて、凄いよな。でもさ、今はNIKEで働きたいと思っているわけじゃん」

佐藤さんの目下の目標は、NIKEに就職し、マイケル・ジョーダンのような、プロ選手のプロモーションをすることだ。自分が担当した日本の選手が、NBAを舞台に活躍することで、日本のプロリーグであるジャパン・プロフェッショナル・バスケットボール・リーグ(Japan Professional Basketball League)のプレゼンスを上げたいと考えている。

 つまり、どこかで佐藤さんが、マイケル・ジョーダンからNIKEの靴へと、興味の対象が変わる出来事が、きっとあるはずなのだ。

「あぁ、でも確かに、NIKEのシューズに対して、道具以上の価値を見出したのは、中学生のときかもね」

「道具以上の価値とは?」

「ブランド力だね。千葉ちゃんっていうバスケ部の同僚がいたんだけど、彼がシューズとかバスケ道具全般が凄い好きで、一度誘われたことあったんだよ、NIKEに店舗にさ」

「うん」

「それで、お店に行った時、マイケルの、「エアジョーダン12レトロ(Air Jordan 12 Retro)」っていうシューズがあってさ。それが、初めての出会いかな。めっちゃ格好よかったわ」

「ブランド力はどこいったの」

「あぁそうそう。ずっと、ただの道具として見てたんだけど、それだけじゃなくて、身に着ける人の気持ちにも影響を与えることが分かったんだよね」

当時はまだ、具体的な夢は意識していない。しかし、この時に夢の欠片が佐藤さんの中で芽生えたのだろう。夢とは、自分の知らないところで小さな欠片がピースを埋めるようにして形成されていくものだ。

「あとさ、NIKEの宣伝広告が上手なんだわ。シューズを買うことは過程なんだよね。こういう選手になりたい、とか、なりたい姿の過程に、シューズがある。そういう見せ方をしてくるんだよ」

「プロモーションか」私は小さく呟いた。

 後日、私はNIKEのホームページにて、エアジョーダン12レトロを拝見した。体調不良に陥ったマイケルが、大量得点した試合で履いていたシューズだ。佐藤さんの言うとおり、確かにその物語を知っているのと、そうでないのとでは、シューズに対する見方が全くことなる。NIKE、というブランド以上の、選手としての付加価値が宿っているように感じる。選手の魂がシューズに宿っているような、それを履きプレイすることで、彼らに近づけるような気分にしてくれる。

「そのときすでに、今の夢を意識し始めた?」

「いや、まだだね。単純に、シューズを履くことで自分自身含め、選手の気持ちが高ぶる、ってことを認識しただけ」

「無得点キャプテンも、エアジョーダンを履けばマイケルになれると」

「そうそう。無得点キャプテンも大量得点キャプテンに…」佐藤さんは一呼吸置いて、私を見る。口角が僅かに上がっている。私も佐藤さんを見つめたまま、何も発さずに次の台詞を待つ。

「うん、なってないね」私達の間に、居心地の良い笑いが生まれた。

 無得点キャプテンは、無得点であっても、同僚が音を上げて退部していっても、エアジョーダンを履いてひたすらコートを走り回った。いや、駆けずり回った。少しばかり我慢したって良い、バスケットボールしかない。振り返れば、今まで重ねてきた自分の罪だけが残る。だったら、前だけ向いて、バスケットボールに没頭したかった。自分の犯している罪に対する罪悪感も後押ししていたのかもしれない。人は何か負い目があるとき、他の何かに転嫁しようとする。悪行をすれば善行をしたくなる。逆も然りだ。

母親である明美さんは、当時の家庭の状況を嘆いてたそうだ。

「よく言ってたね。みんなで一緒にご飯食べたいね、って。やっぱり、お母さんも気にしてたんじゃないかな」

「そうだろうなぁ。子供の毎日が全く分からない状態で、弁当や取り置きのご飯ばかり作って。会社の補佐もしなければならないし。お母さん自身も体力的にしんどいだろう」

「でも、子供の毎日は、バスケで始まりバスケで終わってたから、他に何かあるわけじゃないけどね」

「それは、貴方が喋らなかったからでしょう」

「そうなんだよねぇ。何であんな態度を取ったんだろう」

その時は、理由が明確にならないまま、時だけが過ぎ去っていく。同じ空間にいるにもかかわらず、心の距離はどんどん離れていく。

「中学生の卒業式が終わった後、家族で写真撮ろうってことになったんだ。でも、俺は「いい」って言っちゃって」

「二文字かよ」不貞腐れた佐藤さんが目に浮かぶ。

「結局、撮ったんだけどね。あとでその写真見てみると、俺だけすっげぇブスッとした表情で。お母さん、悲しんでた。今思うと、何で笑ってないんだよお前、って思うけど」

家族との距離が掴めないまま、バスケットボールにのめり込む佐藤さん。それは、「依存」という表現が適しているのかもしれない、その依存心は、高校入学以降、ますます加速していく。離れていく家族との距離は、なかなか縮まらない。それとともに、この依存の正体が、少しずつ明らかになっていく。


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14話「告白」

16話「苦しみのバスケットボール」

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