16話「苦しみのバスケットボール」

強豪高校への入学

高校生になった佐藤さんは、一層バスケットボールにのめり込むようになる。他に何かが入り込む余地の無い程に。しかし、それは没頭すればするほど、理想への距離を認識せざるを得ない、険しい道のりだったようだ。

佐藤さんは地元の県立高校に入学した。県内有数のスポーツ校だった。バスケットボール部も例外ではなく、全国出場までは届かなくとも県内ベスト8に食い込むほどの実力で、中学校からの推薦で入部する学生もいたようだ。

そのような環境で、佐藤さんは推薦を貰うでもなく、隠れた潜在的な能力を有していたわけでもない、平凡な学生だった。自分が平凡であると、はっきりと認識させられたのは高校からだという。

「圧倒的なんだよ。実力差が。中学生の時とは比べ物にならないくらいに」高校と比べれば、地元の公立の中学校とは狭い世界だ。自分の実力のものさしは、地元の世界で完結する。無得点でも、最後の年には通年でレギュラーの座を保持していた佐藤さんからしてみれば、高校でのレギュラー獲得も射程範囲に入ると思っていたようだ。

「何でその高校入ったのよ」失礼な話、全国を狙える高校で、何故無得点キャプテンがレギュラーを勝ち取れると考えていたのか疑問でならない。

「いや、実力的にはね、確かに思った以上に圧倒的な差ではあったけど。でも、それだけじゃないから、入学した理由は」

「他の理由は何があるんですか」私は身を乗り出して聞いた。

「部活のエナメルバックが格好良かったから」

「そんな理由かい」何か他の面白い理由があると多少構えていた分、拍子抜けした。

佐藤さんは居酒屋の個室から厨房の方に目をやり、少し視線を動かした後、カウンター席前に置いていてる水槽を指差した。

「あんな色に近いかな」

光の特性をもろに受けて、水槽に溜まった水が深い緑色に見えていた。中では名前もしらない熱帯魚がゆったりと泳いでいる。

「相変わらず、緑が好きですね」私が以前佐藤さんの家にお邪魔になったとき、佐藤さんの部屋は緑色に統一されていたことを思い出した。カーテン、ラグ、布団全てが緑色だった。本来落ち着くを放つ色が、むしろやかましさを感じさせた。レイアウトとしておかしいのは自覚しているらしいのだが、各家具を購入する際には、やはり緑を選択してしまうらしい。今日着ている服も、ダークグリーンのカッターシャツだ。

「あとは、学校のHPに部活の監督のコメントが記載されていて、自称優しい先生って書かれててさ、それがなんだかおかしくて、一つの決め手になったかなぁ」

「実際はどうだったの、その先生」

「鬼監督だよね。鬼だよ。どこが優しいんだよ、詐欺だよあれ」相当厳しい監督だったことが伺えるが、監督への嫌悪感を抱いているような表情ではない。

「厳しい中にも優しさがある?」

「まぁ、ケツは吹いてくれたけど。でも、俺からしたら、とにかく厳しくて、辛い日々だったよ」佐藤さんは苦々しい表情を浮かべる。中学生の時、マイケル・ジョーダンに憧れてNBAプレイヤーを目指す佐藤さんの生き生きとした雰囲気は、そこにはなかった。

バスケットが怖い

「結論から言えば、バスケが楽しくなくなっちゃったんだよ」

「また急なお話ですな」

「うん。むしろ、怖くなったのかな」

「怖くなった?」

「練習が厳しすぎて。毎日、練習前に何回もトイレに篭ってさ。練習に行くことに、拒否反応示しちゃうんだよ。完全な実力主義で、日々の練習もスパルタだよね。あと、一人ミスをすると連帯責任で部員全員がペナルティを課されたり。そういう周囲に迷惑もかけることへの恐怖もあったかな」監督の厳しさと、同僚から向けられる視線への恐怖。

「実力としては、どうだったの」

「下手糞だったねぇ。そもそも、俺以外の同級生二人以外、全員推薦入学の連中だからね。努力じゃどうにもできない圧倒的な実力差があった」どう足掻いても、届かない恐怖。それを自分で認識してしまうことへの恐怖。

自分の理想に届かないとき、人は抵抗という形で、その事実をなかなか受け入れようとしない。その自分を認めないことは、いつまでも理想に届かない自分と対峠することであり、とても苦しいことだ。この苦痛から最も簡単に解放される手段は、完全に投げ出してしまうことだ。

いつまでも過去の行為を引きずっていても、何も出来やしない。いつまでも着ない服をクローゼットにしまい込んでいるのと同じだ。ひたすら無益な物ばかりが増えていく。クローゼットだって収納するにも限りがある。だったらさっさと諦めて、次の舞台に移ってしまえばいい。そういった選択肢を取って軌道に乗ることだってある。

ただそれは、あくまでごく一部の、本当にやりたいことがはっきりした人や、運に恵まれた人だけの話だ。

佐藤さんはその道を取らなかった。バスケットボールを続けた。身体的な負荷や、精神的な恐怖を常に抱きながら、がむしゃらに届かない理想を追い求めた。

気になるのは、佐藤さんがそこまでして続けた理由だ。この時の佐藤さんを突き動かしたのは、何だったのだろう。


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